ハロー!プロジェクトとジャニーズの2人組ユニットでハロプロ楽曲を歌っていただきたい

はーい、兼ヲタのみなさんお元気?(©夏焼雅さん)

笠原桃奈さんが山田涼介さんの首にレイをかけるさまを見たわたしはとってもとっても元気です!

ここまできたら、ハロー!プロジェクトとジャニーズの合同コンが開催される日も遠くはないですね。ね。

ハローとジャニーズのコラボレーションといえば、モーニング娘。'17とSexy Zoneが『LOVEマシーン』を披露したMステは最早伝説となりましたが、折角ならばより少人数でメンバー同士が芸を競い合うさまを拝見したい。

というわけで、ハローとジャニーズから1人ずつメンバーを選び、2人組のユニットでハローの楽曲を歌ってもらおうという、欲望に欲望を重ねた妄想を恥知らずにも公開いたします。その選出基準は以下の通り。

①現役メンバー

②20代以下

③バックヤードで仲良くなりそうにない

ええまあ、気持ち悪いですよ、わかっています。ここで正気になってはいけません。なんたって日本のトンチキ市場を二分する両事務所を股にかけているのですから。

なお当方の現在の主軸はアンジュルム。ジャニーズではHey!Say!JUMPと関西Jr.を推していたのですが東京Jr.の履修を始め、うっかりTravis Japanの泉に頭から飛び込んでしまったところ。Hi美は履修が追いついていないほか、偏りのある人選になっておりますことをご容赦ください。

 

◆『大人の事情』Juice=Juice

山崎夢羽(BEYOOOOONDS/雨ノ森川海)

西畑大吾(なにわ男子)

みんな大好き『大人の事情』を正統派赤センターに歌ってもらうと言えば簡単なのだが、そう一筋縄ではいかないのが両事務所。各々にとって王道の(つまり奇妙な)アイドル像をいささか誇張気味なほどに全うするふたり、その頑なさの後ろに本人のやわらかな性質が透けて見えるのがたまらない。大人の事情に否応なく晒されるセンターポジションへの切実を、この王道の(つまり奇妙な)つんく曲に乗せてほしいという願望で選曲。

 

◆『Fantasyが始まる』モーニング娘。

牧野真莉愛モーニング娘。'19)

中島健人Sexy Zone

現役で歌割のある曲を選ぶのは短絡的かと思ったのですがどうしても。「セクシーサンキュー」と「まりあんLOVEりんです」は違う呪文だけど同じ魔法じゃないですか。そういうことです。魔法をかけるのも魔法にかかるのも自分次第だよって教えてくれる、美しくトンチキで努力家な魔法つかいたち。ふたりが「かぼちゃの馬車を正面に回して!」を唱えれば、世界はたちまちふたりの正気の狂気に魅せられる。Crazyでごめんね。

  

◆『SEXY BOY ~そよ風に寄り添って~』モーニング娘。

www.youtube.com

宮崎由加(Juice=Juice)

阿部亮平Snow Man

最近の口癖が「阿部ちゃんマジハロメン」になっているほど阿部ちゃんマジハロメンなんですよね。同意されたことはない、だがわたしは主張し続ける。阿部ちゃんのあざとさはゆかにゃのあざとさと同質のものであると。それはすなわち自然体の親切さであり、勤勉さであり、そして自制心。その上品なあざとさを存分に発揮できるのは、投げやりなオモシロ曲に見せかけて実のところ緻密な技術を要するこの怪曲かと。

 

◆『抱いてよ!PLEASE GO ON』後藤真希

室田瑞希アンジュルム

京本大我SixTones

京本さんのことはジャニーズにおける田中れいなだと常々思っており、じゃあハローにおけるジェシー的存在はと考えてみるとそれってむろなのでは、という謎理論によって選んだ組み合わせ。ふたりのどこか切迫感のある声質は、れいなも得意とするこの楽曲にぴったり。キレキレのハイトーンとダンスと表現力をバチバチに戦わせるところが見たいです。とにかくあれですね、ひとつ言えるのは、ハローもジャニーズもギャルは最高ってことで。

 

◆『ロッタラ ロッタラBuono!

www.youtube.com

山木梨沙カントリー・ガールズ

中島裕翔(Hey!Say!JUMP)

好きな人と好きな人と好きな曲を組み合わせただけです。すみませんでした。「幸せになるため生まれ、そして誰かを幸せにするため生きていくんだ」という詞の似合う、ノーブルでクレバーで、明るいのに憂いがあって、器用なのに不器用で、生真面目なあまりちょっぴり後ろ向きなところがいじらしい。ちゃんと自分の手で幸せになれるしたたかさもある人たちだから、心配しているわけじゃないけれど、どうか幸せになってと願ってしまう。

 

◆『Crazy about you』ミニモニ。

清野桃々姫(BEYOOOOONDS/雨ノ森川海)

松倉海斗(Travis Japan

ビーフェイスにプリティーな身長という愛嬌たっぷりのビジュアル、そのイメージを一蹴するかのようなキレのあるダンスとハンサムな美声とくれば、高橋愛のいるミニモニ。を歌ってもらうほかないでしょう。率直に言って松倉さんにつんくの16ビート刻んでほしすぎるし、桃々姫はまさに16ビートの新進気鋭。総合的にハイスキルだからこそ負けん気の強いふたり、シリアスなR&B楽曲でシビアに競い合うさまがありありと想像できる。

 

◆『ギャグ100回分愛してくださいBerryz工房

www.youtube.com

宮本佳林(Juice=Juice)

大西流星(なにわ男子)

こういう粗雑な括りかたをしてしまうのはアイドルおたくとして怠慢だが、敢えてこの言葉で表そう、「アイドルサイボーグ」コンビと。大西流星に対抗できるのは宮本佳林しかいないし、宮本佳林に対抗できるのは大西流星しかいない。そういうアイドル道ド真ん中っぷりがむしろ特異ともいえる子たちには、コミカルかわいさでコーティングされた高難度の曲を充てるのがハロー流というわけでこの曲。のにゅ!のにゅ!で最強のブリ声をキメてくれ。

 

◆『好きすぎて バカみたいDEF.DIVA

笠原桃奈アンジュルム

小瀧望ジャニーズWEST

ももなとのぞむちゃんが好きすぎてバカみたい。ずっと熱望している組み合わせ。メンバーたちの愛に包まれてすくすくと大きくなり、度胸と優しさの上へ知性と技術をまとい、今やグループの中核を担いつつある最年少大型犬たち。まだ伸びしろのたっぷりあるダイナミックな所作と、グループ随一のキュートな色気で歌い上げてほしい。あとはLOVEラブリーももな!LOVEラブリーのぞむ!コールが本当にやりたいです。完全に純粋な欲望です。

 

◆『世の中薔薇色』Berryz工房

横山玲奈モーニング娘。'19)

知念侑李(Hey!Say!JUMP)

かわいいは正義!かわいいは無限!かわいいは世界規模でも負けないぞ!かわいいは決して楽な仕事じゃなくて、色んな刃を心に棲まわせているだろうけれど、それを超えた先にある致死量のかわいさで、ドカ~ンとかわいいを解き放ってくれるにちがいない。かわいいの運命のもとに生まれてしまったふたりの覚悟を知るほどに、「幸せすぎると手を振りたくなる」なんて一見傲慢な瞬間こそが、我々にとっては最大のよろこびとなるのだ。

 

◆『奇跡の香りダンス。』松浦亜弥

高木紗友希(Juice=Juice)

岸優太(King&Prince)

単純な話、それぞれがあややの曲に合うなと。岸くんほどあやや曲にぴったりな声質の男性この世にいます?良い意味で軽いタッチのドライな発声のなかに、甘やかなニュアンスを感じる独特の歌唱。いっぽう紗友希ちゃんは抜群の歌唱力でもってしっとりと歌う機会が多いけれども、かつて披露した『ね~え?』がとても良くて、実は声質自体は明るいのだなと気づいた次第。「この街は若者の涙で出来ている 居心地悪くない」は、ふたりが歌うと少し怖い。

 

◆『イジワルしないで 抱きしめてよ』Juice=Juice

www.youtube.com

秋山眞緒つばきファクトリー

松田元太(Travis Japan

グループに後から加入した最年少、人懐っこくお茶目な性格、いっぽう表現はしなやかで華麗、清潔な色気すらある。多少粗削りなところも魅力的で、クールもキュートもセクシーもいける若くして多彩なパフォーマーたちだけれど、ここはふたりのモードな雰囲気を活かして難易度の高いシャレオツ曲を。ダンスも歌も成長し、期待のルーキー枠を超えて今後ますます主戦力になってゆくであろう子たちの、もう一段大人な表現を見たい。

 

◆『白いTOKYOZYX

井上玲音こぶしファクトリー

永瀬廉(King&Prince)

褐色肌美形枠とくくればそれまでだけれど、年齢を重ねますます容姿が洗練されていって、年相応の背伸びを覚えてもなお失われない内面のピュアさ、言い換えるならお子ちゃま感(褒めています)が天然記念物なふたり。鼻にかかったまったりと低めの声質も相まって、ZYXの小生意気な歌唱がぴったりはまる。「遠くに行っちゃいそうで怖い」なんてまったく、こっちの台詞だ(?)。

 

◆『天真爛漫』スマイレージ

マリウス葉Sexy Zone

小関舞(カントリー・ガールズ

信念とはなにか。誠実とはなにか。慈愛とはなにか。知らないのなら、ふたりを見れば良い。こんにちアイドルが生きる現実において、その気高さは裏切られたり捨て置かれたりすることもあると思い知らされてなお、「うちらの人生は真剣 一秒も無駄にしない」を地で行く、おそろしいほどの人間性の器たち。地球は丸いし、世界は広いし、愛が溢れてるってことを、ふたりのまっすぐなアイドル人生が証明し続けてくれるのだろう。

 

◆『都会っ子 純情』°C-ute

www.youtube.com

江口紗耶(BEYOOOOONDS/CHICA#TETSU)

ラウール(Snow Man

本人の意思に関わらずにょきにょきと伸びてしまった棒切れのような長く美しい手脚で踊る『都会っ子 純情』はエモいどころの騒ぎではない。「でもね私子供じゃない」、とステージに立つ姿はすっかり一人前でありながら、まだまだ朗らかなあどけなさを残していて、同時にパフォーマンスにはウェットな質感がどうしても滲んでしまうあたりも°C-uteっぽさがある。このふたりに限らず、高校一年生世代は両事務所ともに有望株ばかりで目が離せない。

 

◆『もしも・・・』モベキマス

上國料萌衣アンジュルム

佐藤勝利Sexy Zone

兼ヲタ界隈では定番といえるコンビ。かくいうわたしも漏れなく、ふたりは生き別れの双子論者です(?)。くっきりとした目鼻立ちの国宝級顔面はさることながら、ハローやジャニーズでは希少な清涼感あふれる声質も似ていたり、実はアイドルぶった振舞いに照れがあったりするのも魅力的。というわけでカワイイに振り切ったこの曲を、はにかみながら歌ってほしい。もしもこの星が一日で最後迎えるとしても、ふたりの美しさで忘れさせてほしい。

 

◆『This is 運命メロン記念日

岸本ゆめのつばきファクトリー

神山智洋ジャニーズWEST

わーい!みんな大好き芸達者スキルメン合戦だ!神ちぁんにこの曲を歌わせないジャニーズ事務所は阿呆である(ひどい言いがかり)。そこで神ちぁんと張り合えるスキルメンの中でも相性が良いと想像できるのはつばきのDIVAことゆめのちゃん。唯一無二のパフォーマンスには挙動にコミカルさも含ませながら、斬れ味の鋭さでは事務所内でも群を抜いている。そんなパワフルなふたりの「この先どうする?」は、生命の危険すら感じさせる爽快感。

 

◆『愛して 愛して 後一分』モーニング娘。

和田彩花アンジュルム

松村北斗SixTones

プラチナ曲を歌うために生まれてきたのではというレベルで存在がプラチナ期な北斗さん、これは敬虔なるプラチナ期の追随者ことあやちょと組むことで、インテリジェントな色気を戦わせてほしい。「時にはジェラシー私を見てセクシー」を無駄にウィスパーたっぷりに歌い上げる北斗さんが眼に浮かぶよう。そしてそのねっとりとした余韻を「エンドレスな恋 真っ赤に燃える」のあやちょの朗々とした声で力強くぶった切ってほしいな。

 

いやア、相当に悩んでああでもないこうでもないと書き上げるのに時間がかかってしまいましたが、こうして眺めていると自分もしかして天才なのでは?と思ってしまうほど最高のユニットばかりですね!自分の趣味なのだから当然なのですが。

わたしの貧困な脳みそではどうしても似た者同士を組み合わせてしまうばかりだったので、発想の柔軟な兼ヲタのみなさん、後はよろしくお願いいたしますね。

両事務所におかれましては今後ますます積極的に競演していただいて、……嘘です、なかなか心臓に悪いので、ここぞというときに兼ヲタを喜ばせてくださると大変ありがたく存じます。ハロー!プロジェクトとジャニーズのご発展、ご活躍を祈念いたしまして、みんなのこと愛してまーす♡(©松田元太さん) 

笠原桃奈さんの話

 好きな女の子がいる。

名前は、笠原桃奈さん。

2003年10月22日生まれ。

2016年7月16日、5期メンバーとしてアンジュルムに加入した女の子。

 f:id:yadouuu6:20181021224001j:plain

スマイレージ/アンジュルム2期メンバー、大好きな田村芽実さんが卒業した春。俄かに彼女の卒業を追う中でアンジュルムというグループへの愛着はしっかり根付いてしまって、なんとなく箱推しになるのかしらんとか考えていた夏。

新メンバーの加入は然もありなん。改名以降の楽曲のパフォーマンスには、どうしても9人体制が必要だった。けれど正直に白状してしまうと、加入当初の笠原桃奈さんに対する印象は、それほど良好とはいえなかった。

田村芽実さんという女の子は……もちろん歴代ハロメン全員が無二の存在であることを前提としても、きわめて稀有な存在だったと今でも思う。後にも先にもあのように特異な才能がハロプロに現れることはないのだろう。今もますます高みへと登ってゆく彼女だけれど(ソロデビューシングルを買ってください!)、アイドル時代も表現者として他とは一線を画す存在だった。その周りから少し浮いたような鋭利さに惚れ込んだ。

いっぽう彼女と入れ替わりにハロプロ研修生から昇格となった笠原桃奈さんは、次々続々加入してきたアンジュルム新メンバーたちの中でも、いわゆる即戦力タイプではなかった。なにしろ当時はたった12歳。……12歳だ!リーダー和田彩花さんとは9歳差。おたく語法を用いるのであれば「生まれたて」というやつだ。自分が何者であるかもまだまるで見当がつかないような。

それに加えて彼女は真面目でおとなしかった(当時は)。お肌が白くてさらさらの黒髪で、ほんわかした美人だけれど、パワフルでにぎやかなアンジュルムのイメージとは離れた人材のように思えた。驚くべき速やかさでグループに馴染んだ4期の上國料萌衣さんの例があったので尚更、すぐにはアンジュルムの中に居場所を見つけられず不安そうに見受けられた。

自分はそんな彼女の魅力に気付かない鈍感なおたくだったし、彼女を加えた新編成アンジュルムのシングルの評判が(それまでの破竹の勢いからすると)あまり芳しくなかったこともあり、もしかしたらアンジュルムという箱への興味を失ってしまうかもしれない、とすら考えた(はずなのだが、自分のツイログを辿ってみても負の感情の痕跡は一切残していなかった。我ながらおたくの鑑である)。

幼く人見知りの彼女に必要だったのは、ただひたすらに時間だけ、結果としてはそれだった。彼女は半年ほどかけてじんわりゆっくりとアンジュルムに馴染んでゆき、馴染むほどに笠原桃奈さんというアイドル自身の輝きも増していった。

おしとやかで大人びた外見に対し、中学生らしくはちゃめちゃで内弁慶な言動のギャップが自分を含めた多くのおたくを夢中にさせた。みんなにかまってほしくて電波な行動をしてみたり強くつっかかってみたり、お姉さんメンバーたちはそれをほほえましく見守りときに一緒になって遊ぶ。彼女の存在はアンジュルムの多幸感の象徴となった。

 

自分が最初に笠原桃奈さんという女の子に強く惹かれたのはきっと、彼女の放つ言葉に心動かされたのがきっかけだったのだろうと、今になって思う。

ameblo.jp

笠原桃奈さんは、たくさん話す。ブログはしばしば長文になるし、ラジオ等でのトークもスイッチが入るとものすごい勢いで喋りだす。

きっと、たくさん伝えたいことを持っている子なのだろうなと思う。とても賢くていらっしゃるので、いろんな考えが爆発的に頭のなかを駆け巡って、それを全部伝えたくて、一生懸命に早口で話すのかもしれない。けれど言いたいことを上手に掬い取って言葉にするのはまだ苦手で、おそらく彼女自身もそのことを歯がゆく感じているのだと思う。早く大人になりたいと、よく言っているから。

そんな彼女の使う言葉は、子供らしく心のままにとても素直で、なおかつ物事をよくよく考えている誠実さがある。素直なことも誠実なこともアイドルとしてさほど特別な才能ではないかもしれないが、彼女は一見相反するその両方の性質を持ち合わせていて、だからこそ彼女の脳内と彼女の言葉とがきっちり一致して表出されたとき、ひときわ生命力を湛えてこちらを貫いてくる。

twitter.com

初めての武道館公演で、笠原桃奈さんは言った。わたしはその公演に入っていなかったので、彼女のツイートやブログ、おたくの現場レポなどでそれを知った。

ほんとうに一生忘れないでいてくれるのだろう、と思った。

現実はわからない。それはアイドルの常套句かもしれないし、たとえ本心であったとしても、記憶を一生とどめておけるなんて保証はできないし、万が一達成できたときても、その記憶を証明することなんてできない。けれどいまこの瞬間、笠原桃奈さんが「一生忘れない」と強く強く思っている感情は真実で、その確かさを信じられる、と思ったし、信じたい、と思わせてくれた。そういうちからが彼女の言葉にはあった。

 

笠原桃奈さんのパフォーマンスもまた、彼女の言葉と同じように雄弁だ。雄弁すぎて、ときに彼女の肉体を飛び出していってしまうことがあり、それもまた愛らしい。先述の初武道館においても、ソロパートは少ないながらとびきりの笑顔で楽しさを表現するさまがたまらなく魅力的だったのだけれど、彼女は成長するにつれ自らの肉体のコントロール精度をどんどん高めてきている。

なかでも自分にとって決定的だったのは、2018年春のライブハウスツアーでの『恋ならとっくに始まってる』がハロステで公開されたときだった。

『恋ならとっくに始まってる』は、田村芽実さんの卒業のために書かれた曲で、今のところアンジュルムに改名してからは唯一のつんく曲だ。田村芽実さんを好きだった人間にとってこの曲は特別で、彼女が歌う冒頭の台詞パートに何度も涙した。

もう 止めたりは出来ないよ

どうなるか わかんないけど

うん 受け止める

だって もうとっくに始まってる

田村芽実さんが卒業したあと、この台詞パートは当初和田彩花さんが担当していた。先述の通り、田村芽実さんはある種異様な存在であったため、その才能の凝縮ともいえる台詞を受け継ぐのはとても難しいことだったと思う(実際和田彩花さんはこの台詞に苦労していたようすで、田村芽実さんに直接アドバイスを求めたこともあったらしい)。もともと田村芽実さんのための曲なのだから、彼女がいた頃と同じ濃度で表現することはもう不可能なのだろう、と自分を納得させていた。

youtu.be

そういうなかで、笠原桃奈さんが台詞パートに挑んだこの動画が公開され、ひとたまりもなく泣いてしまった。「どうなるか わかんないけど」の切実さ、「うん 受け止める」の真剣さ。かつての田村芽実さんの表現とは全然違うけれど、ほとばしるような感情の吐露は、彼女に迫るほどの鮮烈さがあった。田村芽実さんの台詞が、漠然とした不安を振り払って夢に飛び込む女の子の確固たる信念を示していたならば、笠原桃奈さんが表すそれは、不可逆な運命に身を投じてしまった女の子が、畏れすらも受け容れて自らの使命を全うしようとする気高い決意のようだ。

笠原桃奈さんを推すと決めた。箱推しでもなんの問題もないほどアンジュルムという箱が好きなのに、決めてしまった。否応無く、そう決められてしまった。

 

笠原桃奈さんは、美人でかわいいし、歌もダンスもお上手だけれど、客観的にみて他のハロメンと一線を画すというほどの、際立った才能というのは今のところない。でも、彼女の言葉と肉体が彼女の脳内に追いつこうともがくこの日々を、逆に彼女の年相応な内面があまりにも大人びた容姿に追いつこうと背伸びするこの日々を、大切に愛おしく見つめていられる喜びといったら!14歳は、パフォーマンスのほかにもメイクのことやコンプレックスのこと、迷いや戸惑いがあったかもしれないけれども、でもきっとおたくが心配するようなことじゃない。アンジュルムには彼女を心から愛し守ってくれるすてきなお姉さんたちがたくさんいるのだから。

 

youtu.be

『46億年LOVE』の冒頭で、笠原桃奈さんはくるくると回る。なんの脈絡も、なんの法則もないけれど、ただくるくると回る。きっと回らずにはいられないのだ。これからやってくる歴史的瞬間の予兆として、アンジュルムの新しい時代の幕開けとして、このぱんぱんに膨らんだ期待をそのまま肉体に乗せたら、笠原桃奈さんも、地球回る宇宙もDance Danceってわけだ。

そしてソロパート「伝えられたら…」。伝えたいけれど伝えられないことへのもどかしさを笠原桃奈さんが表現するだなんて!彼女がもがいて追いつこうと努力してきたことそのものが、このパートをひときわエモーショナルにしている。逆説的に彼女の思考と表現が一致した瞬間のひとつとなったこのパートを聴くと、アイドルのファンとしてこれ以上ないほどの幸せがどっとあふれる。

 

笠原桃奈さん、宇宙一かわいい笠原桃奈さん、15歳のお誕生日おめでとうございます。

15歳のももなには、とてもつらい別れが待ち受けています。きっとそれをきっかけに、皆に守られるだけじゃなくて誰かを守る人になってゆくのでしょう。けれどおたくとしては、まだまだ子供のももなを見ていたい気持ちもあって。いそいで、ゆっくり、大人になってくださいね。

 

最後に。おたくのしみったれた重い恋文より、和田彩花さんの書いた短くも美しい文章を読むほうが、よっぽど笠原桃奈さんのまぶしさをおわかりになると思うので。

ameblo.jp

ameblo.jp

25歳、凪

いわゆる「担降りブログ」というものが好きです。

担降りブログに渦巻くジャニヲタひとりひとりの罪悪の物語の魅力こそが、わたしをジャニーズというジャンルのファンにしてしまったといってもいいほど。


わたしはおたくと名乗ることも厚かましいくらい、たったひとつのものへの強烈な好意を持続させることができない類のファンです。アイドルを好きになってから1年の間にもBerryz工房、関西ジャニーズJr.、ジャニーズWEST、Hey!Say!JUMPと次々に興味の対象を移していました。

ですから裕翔りんを特別に好きと悟り、唯一の人と心に決めたそのときには、けれどもすぐにあこがれの担降りブログを書く機会が訪れるであろうと考えていたのです。おそるべきことに。

しかし実際には、わたしは丸3年もの間それを書けずにいました。強烈な好意のA・RA・SHIはもうとっくに過ぎ去っていて、次の大波に備えていつでも凪いでいるつもりでした。

そういう状態でいるところに昨年末には初めてコンサートのチケットが当たり、そのときのあられもない感情の揺れ動きは先のブログに記録してありますが、とどのつまり中島裕翔りんというアイドルへの祈りは、驚くほどにこれっぽっちも変わらなかったのです。その不変が意味していたのは良く言えば安心、悪く言えば退屈。


その中庸な気持ちにスッとやわらかな刃先を入れてきたのは、裕翔りんより10歳も年下の女の子でした。

笠原桃奈さん。

アンジュルムのことはずっと好きでした。田村芽実さんが卒業してからムラはあったものの、箱推しの心持ちでいました。そんななかでなぜももなを特別に好きになってしまったのかということはここで語りませんが、ドームで舞う裕翔りんの米粒のような生身に目を凝らしたその1週間後に、ショッピングモールで間近に目撃したももなの幸福そのもののような笑顔が、わたしの心臓をグシャリと引ったくってしまったのです。

初めて自担と呼んだのが裕翔りんであるならば、初めて推しと呼ぶのは彼女にしたいと決意したのはついこの頃、今年の春でしょうか。ちょうど裕翔りんには際立った個人のお仕事がありませんでした。ツイッターのプロフィール欄を書き換えたとき、わたしは好きなアイドルに対して残酷にも容赦なく、れっきとした優先順位を決めたのです。誰よりも愛を注ぎたい、最も祈りを捧げたいと思うのはアンジュルムであり、ももな。それならばこれは担降りであり、同時に推し変でもあるのだと。

ほんの数週間前までは、そう思っていました。


先月、Hey!Say!JUMPの新曲のMVとメイキングを見ました。

何度見ても鮮烈なまでの優美な容姿。それでいてかわいらしい曲調にてらいのないところ。激しいダンスを明瞭に舞い続ける体力オバケっぷり。画面内の画面越しでもキラキラと溢れんばかりのアイドルオーラ。トラッドな服装がよくお似合いになるハンサムさ。

担降りブログなんてつらいものを書くには、あまりにも、あまりにも好きすぎる。

裕翔りんへの好意は、もしかするとこれからもずっと同じ調子で、たいていは凪いでいるのかもしれません。それでも、凪の地平線へ燦然と輝く太陽のような美しさに照らされる喜びは、裕翔りんを見ることでしか得られないもので、宇宙一愛おしいももなでも他のどんなアイドルでも得られない唯一のもので、その美しさを感じられる琴線がわたしにあるかぎり、きっと「担降りする」なんて大それた宣言をする決心はつかないのだと、半ば観念したような今日この日であります。


中島裕翔りん、25歳のお誕生日おめでとうございます。

あなたがますます美しく、慕わしくなりなさることを、いつまでも祝福のもとに幸せでいらっしゃることを、お祈り申し上げます。

肉体とアイドル(またはジャニーズ初現場についての話)

最近の日課は『ぁまのじゃく』を踊るHey!Say!7を脳内に描きながら出勤すること。 

www.youtube.com

斯様に節操というものを持ち合わせていない類のファンによるブログです(いつか来たるべき7コンへのシミュレーションの一環)。

 

2017年12月8日京セラドーム、初めてジャニーズの現場すなわち戦場に馳せ参じました。その名も『Hey!Say!JUMP I/Oth Anniversary Tour 2017-2018』。

 

わたしは、自分がその戦いに勝利したのか、あるいは敗北したのか、それともそのどちらでもなかったのか、それすらもわからないのです。

中島裕翔りんの身体性――裕翔りんが人間の肉体を所持しているのだという気づきは、わたしの意識を混濁させるのに充分すぎるほど瞠目すべき事実でした。

 

裕翔りんのことは、あらゆる美しい事物の結晶として、慕わしくお見上げしてきました。広義の天使とも狭義の天使とも、あるいはやんごとなき御身分のおかた、おとぎ話の妖精さん、うつろいゆく四季、まばゆい宝石。

とくに裕翔りんというアイドルの鑑賞法を宗教画の構造と重ねあわせる習性が身についてしまってからというもの、我ながらどうしようもないと呆れかえるほどには始末に負えません。中島裕翔というひとりの人間を神さまだと仮定するならば、アイドルとしての裕翔りんは聖典(聖書)であり、そしてさまざまなメディアを介してわたしたちの目に届く裕翔りんは、すなわち聖典の世界が描かれた宗教画なのです(宗教音楽や宗教文学といったものも該当するでしょうが、学が及んでいないゆえ悪しからず)。

宗教的信仰心のまるでないわたしは、わたしが愛しているものは中島裕翔という人間そのものではなく、裕翔りんのアイドルとしての在り方でもなく、ただただ裕翔りんというアイドルを写しとったイコン(聖像)にすぎないのだと、その二重のフィルターを常に意識しているつもりです。イコンはときに神さまそのもののように感じられることもあります(得てしてそれが宗教画家の主目的なのです)から、ついついその境界を踏んでしまいがちなことはどうか大目に見ていただきたいのですが(いけしゃあしゃあと!)。それでも努めて身をわきまえ、裕翔りんのイコンへのみ賛辞を捧げて参りました。

だからこそ、納税義務として支払い続けることになんの憤りもなかったファンクラブ会費が突如として幸運を呼び寄せたとき、わたしは大きなよろこびのあと、しんしんと冷たい不安におそわれました。コンサートとは、つまりメディアを媒介としない生身のアイドルの目撃、すなわち聖典との出あいであろうと考えたからです。はじめてじかに聖典にふれたとき、わたしは新たな境地(たとえば、聖典への信仰)にめざめてしまうのか、あるいはもっと悪いことに、裕翔りんへの祈りを失ってしまうこともあるかもしれないのですから。 

何を隠そうこのわたくし、ジャニーズを好きになってから今回初めてのコンサートに赴くまで、まるまる3年もかかっているのです。3年!3年もあれば、スマイレージアンジュルムになるし、なにきんは解体するし、こぶしファクトリーつばきファクトリーカントリー・ガールズはデビューするし、Berryz工房は解散するし、SMAPは解散するし、°C-uteは解散するし、カントリー・ガールズは解体しかけるし、Jrは星の数ほど入所するし、マリウス葉さんはタケノコのように背が伸びるし、ジャニーズは誰もデビューしないし(!)、とにかく世紀末めいたアイドル界に怯えるあまり3年も引きこもっていたこじらせ野郎にとって、未知とは畏怖であり、変化とは恐怖なのです。

 わたしはいまとなっては笑えるほど筋違いな努力でありましたが、ともかくそれらに打ち勝つべくコンサートに備えました。例によって「愛するものに相応しい女であらねばならない」というオタクの掟にしたがい、目一杯の武装をしてその日に臨みました。取り敢えず安物の双眼鏡を購入しておき、お気に入りのネックレスにシャネルの口紅を纏い、前日のプレ販売で購入していたペンライトとうちわをずだ袋でカモフラージュしました。わたしはわたしの行いうるかぎりの最善を尽くし、気が遠くなるような数のオタクどもに呑まれ、狭苦しい座席にキソクタダシクきっちりと詰め込まれました。もっともそんな急ごしらえの装備など、生身のアイドルを前にしてはむなしいことに過ぎませんでしたが。

 

あまり性能の良くない双眼鏡で目的のかれを捉えたとき、わたしはたちまち知ってしまったのです。裕翔りんに肉体があることを、その肉体が生命を宿しているのだということを。否応無くその眼前の事実を、いままでずっと見て見ぬふりをしてきたその不可逆の事実を、理解させられてしまったのです。裕翔りんは、生きていました。24歳の男性がそこに在りました。聖典(神の神たる所以を述べたもの)を読むつもりで臨んだ場で、思いがけなく出あってしまった身体性へのショックゆえか、それとももともとの意識薄弱のせいか、どうもコンサートの記憶があいまいすぎていて、たった2日前のできごととは思えないほどです。

その霞のような時空間を内在化しようと矮小な頭を捻り、どうにか浮かびあがった最良の解は、「なるほどコンサートとはすなわち聖体拝領のための場ではないか。」という、良い歳をした大人の結論にしては、ほとんど悪ふざけのような厚顔無恥の思いつきでした。聖体拝領というのはキリスト教のミサで行われる儀式であり、贖い主イエス=キリストの肉たるパンと、血たるワインを信徒が口にすることによって、彼の犠牲と栄光に感謝するというものです(かつてほんのちょっと齧っただけの知識を漫然と披露)。

正しくキリスト教の信徒であられるかたにとっては噴飯もののこじつけで恐縮ですが、わたしがHey!Say!JUMPのコンサートにおいて行っていたこととは、まさしくこの聖体拝領ではありませんか!歌い、踊り、ドラムを叩き、ファンサをし、メンバーとじゃれ合い、惜しみなく笑顔をふりまく裕翔りんを、野鳥の会ごっこで追いかけ回すことは、裕翔りんの肉体を食らうことと同等です。そしてその行為によって、わたしは中島裕翔りんというアイドルの秘跡を与えられ、その輝きと翳りを尊び、また同時に、アイドルオタクの罪悪をあらためて心に刻むのです。贖い主たるアイドルがその肉体と生命を尽くして信徒たるオタクどもの罪を赦し、それぞれの人生を祝福してくれていることに感謝する儀式、それこそがアイドルのコンサートの本質であったのです。

さて、聖体拝領という儀式と、宗教画の鑑賞のあいだには、一見大きな隔たりがあるように思われますが、少なくともわたしの中ではそれら両者がむしろ同質なものであると、横暴にも結論づけないではいられません。繰り返すとわたしは信仰心がかけらもないためにこのようなことが言えるのですが、アイドルにとっては肉体もまたメディアにちがいないのです。肉体=聖体を媒介とした裕翔りんのイコンを目撃するという意味で、コンサートも茶の間活動もたいした差異はなく(むろん現場がオタクにとって特別な意義を持っていることは否定できませんが)、すべては引きこもりの茶の間がムクムクと膨らませていた誇大妄想にすぎませんでした。なぜなら、裕翔りんの肉体はほとばしるほど鮮烈に、くるおしいほど静謐に、このうえなく美しかったからです。裕翔りんの肉体は、わたしが自宅に居ながらにして幾度も出あってきた裕翔りんのままに、高雅で、清廉で、可憐で、崇高でありました。裕翔りんはその美しさをもってして、欲望ひしめくオタクどもの合間をなんども愛らしく軽やかに通り過ぎました。

ですから、これほどショッキングな3時間を経て、裕翔りんの身体性を認めてなお、わたしはいままでと同じ祈りをこれからも繰り返すことができます。それは(去年のお誕生日のブログで変化を予告したのにもかかわらず)、裕翔りんのことを好きになったときからずっと変わらない祈りです。裕翔りんがますます美しく、慕わしくなりなさることを、より多くの人からの愛を得、より深い優しさに満たされることを。神さまでもなく聖典でもなく、肉体を含めたあらゆるメディアに表出する裕翔りんの御姿、そのものに祈ります。

 

――まったく我ながら論理が破綻しているどころか、一体なにを意図して言おうとしているのか見失っているこの恥知らずぶり、ともかく正気でないことだけは確かなようですが。そのわけもわからぬ乱痴気騒ぎがまた倒錯的に楽しいので、結局のところ、わたしもジャニーズ現場の魔力に取り憑かれてしまった、それだけのことなのです。高みの見物を決め込んでいた茶の間が、事実と結論を繋ぐだけの長大な屁理屈をこねて、気の遠くなるような数のオタクどもの一員として迎え入れられるべき準備を整えた、ただそれだけのことだったのです。ようするに「ぶっちゃけ有頂天な日々送ってる」し、「時が経っても決して忘れないようにこの瞳でスクリーンショットしたい」し、しまいには「君にやっとたどり着いたスウィートアンサー(吐息多め)」というわけです。

あとは、これがきわめて困難な課題であるのですが、何度コンサートを見に行っても、かれのイコンをかれ自身だと見誤らないよう、オタクとしての研鑽を積まなければなりません。いやあるいはその前に、当選を呼び寄せるオタクとしての強運を身につけるべきなのでしょうか。オタク道とは果てなくままならぬものです。

絵画とアイドル1

エドゥアール・マネ《街の歌い手》に会いに行った。

わたしはお気に入りの秋色のネイルをして、いつもの三倍は念入りに化粧をして、グリーンとイエローのチェック柄の一張羅ワンピースを着た。
ジャニヲタは、自担に見られるためでなく、自担に相応しい女であるためにめかしこむのだという。とはいえ恥ずかしながらわたしはジャニーズ現場処女なのであるが、然もありなん。好きな絵画作品に会いに行くときは、うんとおしゃれをする。むろん、靴は歩きやすいもので。

f:id:yadouuu6:20171014211649j:plain

この画像を見ただけで、この作品が特別なものだと思う人は多くないだろう。あるいは、取り立てて優れた点のない地味な作品だと評すだろう。斯く言うわたしも、彼女のことを殊更に好きだとも思わなかった。マネはわたしにとって最も特別な画家だが、すべてのマネの作品がわたしにとって特別というわけではないし、彼女はマネの作品のなかでもとりわけ優れているというわけではない。それでも、『パリジェンヌ展』などという甘ったるくこっぱずかしい名の展覧会にわざわざ脚を運ぶだけの価値はあると確信してはいたのだが。

ビルの2フロアに渡る会場の、上の階にたどり着いてすぐに、彼女はすらりとあらわれた。
ああ、そのときのわたしの気持ちを、誰しもが理解すべきだとは到底思わない。それはおおよそ、迷妄といっていい。あるいはまるで恋だ。これはマネの作品を評するのに全く似つかわしくない寒々しい麗句にすぎないのだが、荘厳な宗教画を目にしたかのように彼女の前へ跪きそうになるのを、わたしはぐっと堪えなければならなかった。彼女があらわれたその衝撃に、ほのかな好意はすっかり塗り替えられてしまった。強い、強い情動が、わたしの穏やかな慕情をすっかり打ちのめしてしまった。
色選びのなんと都会的でしゃれたこと。レンガ色の壁に深い緑の扉、そこへ浮かび上がるグレーの素材違いのスカートとコート、覗く白のパニエとクリーム色の包み紙を差し色に、帽子とギターの鮮やかな黒が引き締める。グレーのコートにするすると何気なく引かれた黒の縁取りの、あまりに見事で清かなことよ!マネの作品に頻出するこのモデルの女性、ただでさえ黒目がちでどこか空ろな顔だちであるうえに、口元を艶やかなぶどうが覆い隠して、ますます意思を明らかにしない。怜悧な気位の高さ、憐れみ深い冷淡さ、高貴さと嘆息、心彷徨う憂い、あらゆる情感を内包し同時に拒絶しながら、視線を寄越す(しかし、決してこちらを見ない)。
こんなにも一枚の絵画から離れ難いと思ったことは、パリでマネの《オランピア》を見たとき以来だった。何度も行きつ戻りつしては、彼女のすみずみまで見逃すまいと目を凝らした。大学を出てからというもの、展覧会に通うのすら億劫になってしまったただの社会の歯車にも、こんな初々しい情緒が残っていたのかと驚くばかり。仮に彼女の前にソファが置いてあって、わたしが貧乏な日帰り旅人ではなかったならば、きっと一日中そこにいられただろうなんてくだらないロマンチシズムを爆発させてしまうほどに、彼女を愛してしまったのである。

交通費だけでも一万円弱。どうして大金を払ってまで本物を見る必要があるのかと、問う人がいるかもしれない。確かに、わたしは美しい正確な写真による画集を持っている。インターネットを除けば、肉眼で見るよりはるかに鮮明に作品の細部を観察することができる。……ほざけ!アイドルファンにとっては、尚更自明のことである。ドームの天井からは自担が米粒ほどにしか見えなくとも、DVDやBlu-rayでは得られないものがそこにあると知っているから、我々はチケット当落に騒ぎ立て、高額転売が蔓延るのだ。
どんなに遠くあこがれ、慕わしく思っていても、結局は本物を見つめてみなければ、それは無知と同然なのだ。だからわたしは、アイドルを好きになって数年は経つというのに、未だアイドルヲタクと名乗るに足らないファンのままである。ああ、相応しい女にならねば。即物的に着飾って自己満足するばかりでなく、わたしの愛するアイドルと絵画を見つめるのに、相応しい女にならねば。
 

ところで、後ろ髪を引かれつつ彼女と別れたわたしは次の目的地を目指した。アルベルト・ジャコメッティの展覧会が素晴らしいという話を聞いていたので、さらにそれが現代において最も美しい建築を設計する谷口吉生のハコでやるというのだから、なおさら訪れないわけにはいかない。さらに片道一時間ほどかけて、険しい坂を登りその美しい美術館に辿り着いたわたしは、文字通り、絶句した。
……ジャコメッティ展は一週間後から!

コツコツ研鑽を、積まなければならない、ならない。

24歳(なお、人間として)

中島裕翔りん、24歳のお誕生日おめでとうございます。
 
23歳のあなたもこれ以上ないほど美しくいらっしゃったのに、ますます日毎に美しくなりなさる裕翔りん。
裕翔りんにお会いして感謝の意を表すこともできぬ、無力な茶の間おたくのわたくしですので、裕翔りんにお似合いになると思う絵画作品をいくつか紹介することで、祝福を捧げることといたします。
 
 
フラ・アンジェリコ《受胎告知》

f:id:yadouuu6:20170810001050j:plain

大天使ガブリエルが聖母マリア処女懐胎を告げる、たいへんドラマチックな場面が、このうえなく静謐に描かれています。ふたりの居る空間は素朴で禁欲的なのですが、それなのにきわめて高貴かつ神聖な画面として完成されており、信仰もないのに思わず祈りを捧げたくなってしまうほどです。この滲み出るような気品に満ちた、それでいて優しく柔和な美しさを、裕翔りんと重ねることがあります。
 
 
ラファエロ・サンティ《大天使ミカエルと竜》
f:id:yadouuu6:20170810001016j:plain
大天使ミカエルが、竜=悪魔を打ち倒す場面を描いたものです。毅然とした表情で、それでいてどこか哀れむように禍々しい悪魔を見下ろす天使。決然として悪魔を踏みつけるさまの、容赦のないまでの正しさ。おぞましい情景のなかで、神のために剣を振るう、天使の立ち居の軽やかさといったら。清廉な裕翔りんの一貫した正義感もかくや、と考えるのです。
 
 
バーネット・ニューマン《ウリエル
f:id:yadouuu6:20170810001106j:plain
ペール・ブルーの画面に、やわらかなこげ茶色がそうっと影を落とします。快晴の空ほどには明るすぎず、曇り空ほどには濁らない、幸福にも悲哀にも染まらない光。裕翔りんの抱く水色のイメージを想起させます。『明日へのYELL』披露時のすばらしいお衣装もこのような色合わせでありました。大天使ウリエルは天使から人間になったとされますから、裕翔りんにぴったりの作品です。
 
 
あら。お気づきになられましたでしょうか。
そうです、わたしが恥ずかしげもなく申し上げたいのは、裕翔りんはまるで天使のようだということなのです。
わたしは裕翔りんのファンの多くがそうするようにしばしば、裕翔りんのことを天使に喩えることがあります。でもそれは、裕翔りんが天使のように愛らしいから、という理由によってのみ言うものではなく、聖書に出てくる天使のすがた、人間に近しくありながら、神の使いとしての非人間性に、とても似ていると感じるからなのです(もちろん言うまでもなく、裕翔りんは宇宙でいちばん愛らしいのですが)。
これらの絵画を見つめながら、裕翔りんの天使性に思いを馳せるいまこのとき、わたしは裕翔りんを祝福しているはずが、逆に裕翔りんに祝福されているかのようで、このうえなく幸福であります。
どうか24歳のあなたも美しく健やかでありますよう。わたしは祈ります。

 

死とアイドル

月曜日

私は帰宅するなりグースカと眠った。別段疲れていたわけでもないのだがたまらなく眠たかった。携帯の着信音で目が覚めた。午後9時。母は静かに、母方の祖母が亡くなったと告げた。寝ぼけた頭で「あら、そうなんだ」と返した。私は喪服を持っていないから、スーツで代用するという話をした。
電話を切り、手癖でツイッターを開いた。荒れていた。ハロー!プロジェクトの新体制についての動画が上がっていた。すぐに見た。カントリー・ガールズが本当に解体されてしまうのだという事実も、Juice=Juiceがオリジナルメンバーでなくなる衝撃も、森戸さんと譜久村さんの繊細な緊張感も。なにもかものやるせなさに唖然とした。アンジュルムのファンをやっている自分としては、あいあいを元のメンバーのままで待っていられないことが口惜しかった。それでもあやちょの神々しさすらある慈愛に包まれて、絶望はしなかった。衝動的な物言いを制御できる程度にはハローとの距離があった。
寝ぼけていたとはいえ、母に「あら、そうなんだ」などと言ってしまったことを後悔し始めていた。スマホで喪服について検索し、やはり新しく購入することにした。値段の相場を調べて顔が青ざめた。
 
火曜日
仕事終わりに汗だくで百貨店へ駆け込む。催事場でバーゲンをやっているとのことだったが、午後6時で終了していた。二軒目で勇気を振り絞りフォーマルウェアの売り場に入る。破滅的なコミュ障ゆえひとりで買い物をするのが本当に本当に苦手だ。増して喪服の良し悪しなど到底わからぬ。二着ぽっちを試着し、高い方は細すぎてパツパツだったので、6万ほどのアンサンブルと1万のバッグを購入。6万!この真っ黒なだけの服に6万!ボーナスが近くて助かった。店員と話すのもしどろもどろに、そそくさと帰宅。桃子さんのラストコンサートのライブビューイングにけないかもしれない、ということにやっと思い至る。
 
水曜日
テレ東音楽祭のためそそくさと帰宅。堂本の剛さんが一週間入院というニュースのほかは、極めて平和的に進行された。大型音楽番組になると、やはりベテラン勢の強みが光る。V6おじさんたちの容赦のないカッコよさに殴られた。SMAP解散後の世界で、中年アイドルたちはいったいどこへゴールを目指すのだろう。男性アイドルの終末のモデルケースを誰が作るのだろう。ジャニーズファン目下の懸念事案が改めて過る。
 
木曜日
どうやら桃子さんのライブビューイングに行くことができるだろうという見通しが立つ。ハロステを見るなどして、駆け込みで研鑽を積むつもりであったがたちまち寝落ちする。
 
金曜日
時間休を取得している私に先輩が「今からおばあちゃん家に行くの?」と心配してくださったが、「いいえ、ももちのライブを見てきます」と宣言してそそくさと職場を出る。
桃子さんのラストコンサートは完璧だった。無論、アイドルというのは完璧なだけが美しいものではない。誰もが承知している。それでも桃子さんは完璧を目指し、そして見事なまでに達成した。それを可能にしたのは桃子さん自身の輝かしく逞ましい、ダイヤモンドの如き意志であることは言うまでもないが、カントリー・ガールズのメンバーたちの献身ぶりは見事であった。カントリー・ガールズという場の愛と幸福の純度が高すぎてくらくらした。なんとなく勝手に、ももちイズムという言葉が独り歩きしているように感じていたが決してそうではない。カントリー・ガールズで、桃子さんの慈愛を受けて育った者にしか宿せない精神がたしかに彼女たちのなかに遺っていた。
ターミネーター2のラストシーンを思わせる幕引きで、自らの小指を折ることによって、桃子さんはアイドル嗣永桃子をまさに葬り去った。おしなべてアイドルのラストコンサートというものは葬列と同義であるが、桃子さんの最期はそれをいっそう強く印象付けた。ひとりの偉大なアイドルが死んだ。
私はといえば救いようがないことに、アイドルの世界に対して余所者で居なければならないという決意をさらに固くしていた。救いようがないほど臆病な人間なのだ。心を尽くして愛したアイドルがいつか死んでしまったときのことを想像すると、それだけで張り裂けそうに痛いのだ。それならば初めから好きになりすぎないほうが良いのだ。私はその方法を知っている。
 
土曜日
祖母の葬儀に出た。通夜も省略した、近しい親族だけの葬儀だった。本当に唐突な死だった。一人暮らしで家のことは全部自分でやっていた。誰よりも元気で足腰が強く、80を超えてもグアムでスキューバダイビングをするなどの破天荒ぶり。とびきり明るく矍鑠としていて、大雑把かつ几帳面だった。料理がとびきり上手で、どんなものも自己流においしく作ってくれた。合唱、ピアノ、茶道、華道、書道となんでも並大抵でない腕前だった。
たっぷりの花で飾られた祭壇を見て、なぜだかSMAPの最期の光景を重ねてしまう。SMAPの死は私たちアイドルファンに絶望をもたらした。しかしSMAPが死んでも、彼らの与えてくれたものが虚無になるわけではないということを、今となっては無条件に信じている。死の結末によって人生の価値を定めてはならない、という考えを心にうかべた。自宅で倒れているのを発見された祖母は実際のところ孤独死であったわけだが、だからといって祖母の人生を哀れなものだなんて言えるはずもない。祖母は幸福であった。だから私は必要以上に悲しむことはしなかった。ただ、祖母は苦しんだのだろうかと思うと涙が流れた。
従姉が自宅からハムスターを連れてきていた。あまりにかわいく愛おしいので飼いたいと思ったが、きっと飼うことはない。つくづく救いようがない。
 
日曜日
形見分けをした。仕立の良い着物類は全て並べるとまるで呉服店のようであったし、何度も賞を受けた緻密な書作品は装丁からこだわって美しいものばかりで、祖母の心豊かな生活ぶりに圧倒されるばかりだった。そしてそれらの品はもちろんのこと、食器やインテリアや果ては食べかけの食品の類に関してまで、なんでも競りにかけられ分配された。孫の中では祖母と最も疎遠であった私はその光景をぼうやり見ていたが、母の勧めで帯を一本(着物は背丈が合わなかった)、イヤリングを二組、シャネルのNo.5の小さな瓶、数珠などを得た。私以外の誰もが祖母の遺品をそばに置いておきたがった。それはひとえに祖母の人徳ゆえだった。
それでも、どうにもならないこともある。一人暮らしの祖母が亡くなったということは、祖母の家に暮らす人がいなくなったということだ。家をどうするか未だ決まっていないが、いずれにせよ取り壊さなければならないことは確実だった。実家をなくした母や、誰よりも祖母と近しくしていた兄の、茫然とした表情を見た。ただ物質的な家がなくなるということだけでなく、関東と中部と近畿と中国と、離れて暮らす親類たちの集まる空間と口実が、すっかり失われてしまうのである。
カントリー・ガールズの解体のことを想う。アイドル嗣永桃子の死とともに、カントリー・ガールズはほとんど決定的に失われてしまった。それも仕方なしにというわけでなく、大きな力の干渉によって無理に奪われてしまったのである。ひたむきな少女たちにとってなんと残酷な仕打ちだろう。どこへ居ても何年経っても、彼女たち5人にとって還るべき家はたったひとつだけだというのに。完璧な桃子さんの唯一にして最大の誤算であった。
帰阪し、ずっと心待ちにしていた関西ジャニーズJrのラジオを聴いた。大晴くんと晴太郎の初ラジオ。2人と道枝くんの会話はあまりに若くて、痛々しいほどにまぶしかった。でもそのきらめきだけでアイドルは生きてゆけないのだと、彼ら自身も知っている。関西ジャニーズJrは常に死を意識せざるをえない集団だ。こうして彼らの与える幸福に浸っている間にも、自分がいかに死ぬかということを考えている子が居るのだろう。
結局のところどんな屁理屈をこねたって、死に際が全てではないと悟っていたって、誰もがきっとすべて綺麗に死にたいと願っている。どうしようもなく。無謀に。願っているのに、それを完遂できるアイドルは、人間は、きっと宇宙のどこにも見当たらない。