絵画とアイドル1

エドゥアール・マネ《街の歌い手》に会いに行った。

わたしはお気に入りの秋色のネイルをして、いつもの三倍は念入りに化粧をして、グリーンとイエローのチェック柄の一張羅ワンピースを着た。
ジャニヲタは、自担に見られるためでなく、自担に相応しい女であるためにめかしこむのだという。とはいえ恥ずかしながらわたしはジャニーズ現場処女なのであるが、然もありなん。好きな絵画作品に会いに行くときは、うんとおしゃれをする。むろん、靴は歩きやすいもので。

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この画像を見ただけで、この作品が特別なものだと思う人は多くないだろう。あるいは、取り立てて優れた点のない地味な作品だと評すだろう。斯く言うわたしも、彼女のことを殊更に好きだとも思わなかった。マネはわたしにとって最も特別な画家だが、すべてのマネの作品がわたしにとって特別というわけではないし、彼女はマネの作品のなかでもとりわけ優れているというわけではない。それでも、『パリジェンヌ展』などという甘ったるくこっぱずかしい名の展覧会にわざわざ脚を運ぶだけの価値はあると確信してはいたのだが。

ビルの2フロアに渡る会場の、上の階にたどり着いてすぐに、彼女はすらりとあらわれた。
ああ、そのときのわたしの気持ちを、誰しもが理解すべきだとは到底思わない。それはおおよそ、迷妄といっていい。あるいはまるで恋だ。これはマネの作品を評するのに全く似つかわしくない寒々しい麗句にすぎないのだが、荘厳な宗教画を目にしたかのように彼女の前へ跪きそうになるのを、わたしはぐっと堪えなければならなかった。彼女があらわれたその衝撃に、ほのかな好意はすっかり塗り替えられてしまった。強い、強い情動が、わたしの穏やかな慕情をすっかり打ちのめしてしまった。
色選びのなんと都会的でしゃれたこと。レンガ色の壁に深い緑の扉、そこへ浮かび上がるグレーの素材違いのスカートとコート、覗く白のパニエとクリーム色の包み紙を差し色に、帽子とギターの鮮やかな黒が引き締める。グレーのコートにするすると何気なく引かれた黒の縁取りの、あまりに見事で清かなことよ!マネの作品に頻出するこのモデルの女性、ただでさえ黒目がちでどこか空ろな顔だちであるうえに、口元を艶やかなぶどうが覆い隠して、ますます意思を明らかにしない。怜悧な気位の高さ、憐れみ深い冷淡さ、高貴さと嘆息、心彷徨う憂い、あらゆる情感を内包し同時に拒絶しながら、視線を寄越す(しかし、決してこちらを見ない)。
こんなにも一枚の絵画から離れ難いと思ったことは、パリでマネの《オランピア》を見たとき以来だった。何度も行きつ戻りつしては、彼女のすみずみまで見逃すまいと目を凝らした。大学を出てからというもの、展覧会に通うのすら億劫になってしまったただの社会の歯車にも、こんな初々しい情緒が残っていたのかと驚くばかり。仮に彼女の前にソファが置いてあって、わたしが貧乏な日帰り旅人ではなかったならば、きっと一日中そこにいられただろうなんてくだらないロマンチシズムを爆発させてしまうほどに、彼女を愛してしまったのである。

交通費だけでも一万円弱。どうして大金を払ってまで本物を見る必要があるのかと、問う人がいるかもしれない。確かに、わたしは美しい正確な写真による画集を持っている。インターネットを除けば、肉眼で見るよりはるかに鮮明に作品の細部を観察することができる。……ほざけ!アイドルファンにとっては、尚更自明のことである。ドームの天井からは自担が米粒ほどにしか見えなくとも、DVDやBlu-rayでは得られないものがそこにあると知っているから、我々はチケット当落に騒ぎ立て、高額転売が蔓延るのだ。
どんなに遠くあこがれ、慕わしく思っていても、結局は本物を見つめてみなければ、それは無知と同然なのだ。だからわたしは、アイドルを好きになって数年は経つというのに、未だアイドルヲタクと名乗るに足らないファンのままである。ああ、相応しい女にならねば。即物的に着飾って自己満足するばかりでなく、わたしの愛するアイドルと絵画を見つめるのに、相応しい女にならねば。
 

ところで、後ろ髪を引かれつつ彼女と別れたわたしは次の目的地を目指した。アルベルト・ジャコメッティの展覧会が素晴らしいという話を聞いていたので、さらにそれが現代において最も美しい建築を設計する谷口吉生のハコでやるというのだから、なおさら訪れないわけにはいかない。さらに片道一時間ほどかけて、険しい坂を登りその美しい美術館に辿り着いたわたしは、文字通り、絶句した。
……ジャコメッティ展は一週間後から!

コツコツ研鑽を、積まなければならない、ならない。