愛する事と信じる事


20211115日。日本武道館

わたしはそこに居ないはずの人間だった。

なぜならわたしはわたしのチケットを、一生でたった一度しかない、宇宙でいちばん好きな人の卒業コンサートのチケットを、手放してしまっていたからである。

最初に断っておくが、これはあの最高のコンサートについてのライブレポートではない。笠原桃奈さんという人について書いたものですらない。ひとりの哀れなオタク、推しの卒業の日を迎えたオタクの、感情の記録である。


118日から発熱が続いていた。症状は軽く、PCRも陰性なのに、いつまで経っても熱が下がらない。

13日の朝目覚めて、検温をするまでもなく結果は明白だったので、前日の夜に決めていたことを実行することにした。すなわち、わたしはわたしの「桃源郷」へのチケットを譲りに出したのである。

堀込高樹によれば、「光は愛、愛は光」。卒コンに空席を作ることなど、笠原桃奈さんを祝福する桃色の光をひとつでも欠けさせることなど、それだけは絶対にあってはならないことだった。ゆえに決断した。少しだけ泣いた。自分は笠原桃奈さんが振りまく幸せをただ漫然と甘受するばかりで、なにひとつしてあげられることはないのに、最後に笠原桃奈さんを照らす愛の光の一粒になることすら許されない人間なのだと。けれど、迷いはなかった。チケットを手放すこと、それだけが今のわたしにできる最善のことだと信じていた。きっと最初からそういう運命だったのだと、わたしの何かが足りないせいなのだと、自分を納得させた。


すぐに譲り先が決まり、チケットを速達で発送してひと安心したそのとき、あるフォロワーさんからこのようなDMが来た。

「当日、始まる数時間前でも大丈夫なので、体調が戻ったら言ってください。わたしのチケットをお譲りします。あなたに卒コンに入って欲しい。」

彼女は°C-ute遺族だったこともあり声をかけてくださったそうだが、こんなことってあるのだろうか、今でも信じられない。そんな尊いお方がわたしのフォロワーに、この世に存在するだなんて。哀れで惨めなわたしを見かねて天から舞い降りたもうた女神か天使だったのではないだろうか?

理解の範疇を超えるほど寛大すぎるその提案を受けて、あまりにも畏れ多く、一度は断るつもりでいた。罰当たりなことに、漸く覚悟を決めたところだったのにどうしてと思ったりもした。けれどベッドの中でどうにか熱を追い出そうと苦心しながら、ライビュや自宅で卒コンを見届ける自分の姿を想像し、どうしようもなく苦しくなった。なんのためにオタクをやってきたのか。この日のためじゃないのか。好きな人にありがとうを伝えるために、この世に生まれてきたんじゃないのか。

悩み抜いて、その意志を、例の女神に伝えることにした。「当日の昼、体調と仕事が問題なさそうなら、連絡させていただきたい」と。女神はLINEでわたしに微笑んでくれた。


そして20211115日昼過ぎ、わたしは東京行きの新幹線に乗っていた。世界がこれまでになく美しく、輝いて見えた。世界のすべてがこのすばらしい日を言祝いでいるかのように思えた。

予定より到着がギリギリになり、女神と落ち合おうとするものの迷子になって焦り、ようやく落ち合えたら今度はお会いできた嬉しさでアタフタし、楽しくお喋りしているうちに(なんとその女神、武道館の前までわたしを送り届けてくださったのである。やはり俗世に存在する人間の持ちうる親切さを超えていらっしゃると思う。)武道館に到着し、着席してレンタルした防振双眼鏡の調整にあくせくしていると、もう照明が落とされた。ほとんど何の感慨もないまま、久々のアンジュルムのコンサートとそれに参加できることに無邪気にわくわくしたまま、わたしはその時を迎えた。


コンサートについては、書くべきことはなにもない。

見て欲しい。そこにすべてがある。


笠原桃奈さんが愛し、なにより笠原桃奈さんを愛したアンジュルム

10人のシルエットが浮かび上がったとき、10人がひとつのアンジュルムという生き物になっていることがわかった。

その扇の要として、最もアンジュルム的な存在である笠原桃奈さんという人が立っていた。


あなたと出会う為にこの世に居るんだと確信した夜。

運命なんかクソ食らえだ。

今日のあなたを見るために生まれてきた。

それなのに、今日が終わってもまだ生きたい。今日の輝かしく美しい思い出があるから、これからの人生も強く生きていける。

そんなコンサートだった。


最後のソロパフォーマンスで、最後のお手紙ではっきりと、これからもノブレス・オブリージュを強く志すことを示していた。

かつては普通の子どもだったという感覚をその手に残している人が、自分は特別な機会に恵まれた特別な人間なのだということを自覚し、それをみずから背負って生きていくことの過酷さを、ただびとのわたしは想像することしかできない。

でももうわたしはその困難さに憂慮したり、心配のあまり声をかけたりすることはできない、というか、する必要もない。笠原桃奈さんは、もうとっくにわたしたちの視野に留まっているような人ではない。ただ、高く遠く飛んでゆく笠原桃奈さんを見失ってもそれを受け入れることができるように、この別離の時間を作ってくれただけのことなのだ。

だから別れは悲しいけれど、辛くはない。今日のあなたと同じくらい、それ以上に、未来のあなたは美しく尊いものだととわかっているから。


わたしはもともとアンジュルムが好きで、アンジュルムにいるから笠原桃奈さんのことを好きになった。だからアンジュルムではない笠原桃奈さんのことをこれからも好きでいられると、断言することはできない。あなたに嘘をつくことはできない。

けれどあなたが最後に伝えてくれたように、たとえあなたを好きでいるこの気持ちが過去のものになったとしても、その記憶はわたしの人生のなかで永遠の光を湛え続ける。

あなたを好きになったから知り得た感情、見つけた景色、気づいた価値観、出会えた言葉、わたしの腕には抱えきれないほどの、あなたからもらったとりどりの宝物。そのひとつひとつを必要なときに取り出して眺めることができるように、丁寧に磨いてしっかりと包んで引き出しに仕舞っておくことにする。これからも、否が応でも、あなたと一緒に生きていかなきゃならないから。一緒に生きていきたいから。

とっくに覚悟はできている。ただ今はもうちょっと、くよくよする時間が必要なだけ。


笠原桃奈さん。

アンジュルムと、わたしと出会ってくれて、信じさせてくれて、愛させてくれて、ありがとう。

「一生忘れません。」

そう信じることこそ、わたしにとっては愛することそのものでした。幸せでした。

地球が今日も育む愛をもって、いまこの瞬間瞬間に、宇宙でいちばんあなたが好きです。


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