こわい人

 

この記事は、#竹内朱莉アドベントカレンダー に参加しています。

 

https://ameblo.jp/angerme-amerika/entry-12284254745.html

6年前の今日、2017年6月16日付けの竹内朱莉さんのブログである。このブログに簡潔に表れている、竹内朱莉さんと笠原桃奈さんの関係性の愛おしさといったら!

傍若無人なふるまいをすることで不器用に甘える笠原桃奈さん。その笠原桃奈さんをほほえましく見つめ、いじって怒らせてまた可愛がる竹内朱莉さん。

竹内朱莉さんは(わたしたち笠原桃奈さん推しのオタクと同様に)、ぷんぷん怒った笠原桃奈さんがとびっきり可愛いということを知っていた。

https://ameblo.jp/angerme-amerika/entry-12633238838.html

竹内朱莉さんは、笠原桃奈さんの歌声のこともよく褒めてくれた。わたしが見つけられるだけで、3回も「歌声が好き」とブログに書いている。あの竹内朱莉さんから歌声を褒められるなんて、と、何故かオタクが鼻高々になっていたりした。

 

と、これまで笠原桃奈さんについて書いていたときのようなスタイルで、竹内朱莉さんのブログ記事を挙げながら書いてみたのだが、竹内朱莉さんが選ぶ言葉は、斯様にシンプルである。書き言葉と話し言葉の文体の差はほとんどなく、明るく、おおらかで、率直だ。和田彩花さん、そして笠原桃奈さんのような思索的な言葉づかいをこよなく愛し、彼女らの言葉を拾い集めながら何かを見つめようと足掻くわたしのようなオタクにとって、竹内朱莉さんについて書くことは本当に難しいしごとである。

したがって竹内朱莉さんについては何か別の方法で語らなければならないのだが、その方法を見つけられないまま、卒業の日は刻一刻と迫ってくる。ひとまず書き始めてみるしかないと、たかを括った。

 

タケちゃんほんとにかっこよかったなあ……りかこも……むろたんかわいかったなあ……

 

わたしが初めてアンジュルムの現場に入ったのは、今は亡き千里セルシーで行われた『次々続々/糸島Distance/恋ならとっくに始まってる』のリリースイベントだった。

2014年末にスマイレージアンジュルムの存在を知ってから優に1年以上を在宅でうじうじと過ごす中で、田村芽実さんを卒業までにひと目見たいという思いに背中を押され、やっとハロー!プロジェクトの世界に足を踏み入れた。

田村芽実さんのキレはもちろんのこと、メンバーひとりひとりの輝きに圧倒され、大大大好きな「ヤッタルチャン」も披露され興奮しきり、全員握手があんなにも高速だとは知らずほぼ無言で通り過ぎるなどの無礼を働いたのも今となっては懐かしいが、その現場で鮮烈に記憶に残ったのは、竹内朱莉さんの揺るぎないパフォーマンスであった。

 

『七転び八起き』での「明日の事よりも今日が大事」の気障さ、『次々続々』でのラップとソロダンスのキレ、『恋ならとっくに始まってる』での跳躍するメロディーの危なげなさ。全てあらかじめ知っていたはずなのに、生で見る彼女の技術は圧巻だった。あまりにもブレがなくこなれている歌声とダンスは、正確無比でありながら、遠くからでも否応なく観客の目を奪い心を踊らせる。アンジュルムの芯を貫くその強さは、今日までずっと変わらないままだ。

(余談だが、この短い9人時代における「たけめい」の双璧っぷりが最も顕著に表れていたのは、ひなフェス2016で披露された『シャボン玉』カバーで間違いない。熱っぽく曲の感情をほとばしらせる田村芽実さんに対し、竹内朱莉さんはあくまでもクールにきりりと対峙する。ふたりが互いをずっとライバルだと思っていただなんて、本人たち以外の誰もが知っていた。)

 

福田花音さん、田村芽実さんが立て続けに去り、竹内朱莉さんと歌で渡り合えるメンバーは実質的に居なくなったといってもいい。他の追随を許さない圧倒的な存在となってから、実に7年間も、アンジュルムの大黒柱として活動してくださったという事実に、改めて感服する。

いや、そもそも竹内朱莉さんは、加入した当初から既にしてスマイレージの柱であった。精度は言わずもがな、甘酸っぱい清涼感と柔らかさが共存する歌声(『チョトマテクダサイ!』や『ヤッタルチャン』のような賑やかピコピコ曲も上品に保ってくれる)、痛快なほどにリズムを捉えたダンス(『寒いね。』のサビでエグいキレを見せる竹内朱莉さんのダンスが大好き!!ライブバージョンのMVで確認できる)、そしてひと目で覚えられるキュートなビジュアル。私がスマイレージの動画を初めて見たときからしばらくの間、センターは竹内朱莉さんだと思い込んでいたほどである。

 

その安定感は一切失わないままに、常に新しい表現を吸収していったのが、竹内朱莉さんというアイドルの凄まじさである。十人十色武道館の『大人の途中』とアンジュルムダンス部で、全てのリミッターを外したかのように無双しまくったかと思えば、リーダー就任後の『全然起き上がれないSUNDAY』では情念的な表現を試みた。最も劇的な変化を感じたのはコロナ禍を経てからの「Premier seat」で、『ミラー・ミラー』の頃まではまだ試行錯誤していたように見えたのだが、力の抜けたしなやかさをすっかり我がものとしていた。リーダーとしての成熟とパフォーマーとしての成熟はそのまま正比例し、『はっきりしようぜ』間奏ダンスの圧倒的な華やかさと艶やかさにははっとさせられ、極めつけは『悔しいわ』の大サビ!DIVAと呼んでも全く過言ではない、まさに完成された存在となった。

 

こうして竹内朱莉さんの好きなパフォーマンスを書き連ねてみて、自覚した感情がひとつある。はじめっからこんなに竹内朱莉さんのことが好きなのに、いつもいつもステージの竹内朱莉さんに目を奪われてきたのに、わたしは実のところずっと、竹内朱莉さんをどこかおそれている、ということだ。

先にも書いた通り、竹内朱莉さんはほとんど「語らない」人である。無論、「朝まで生竹内」という番組を成立させてしまうほどの驚異的なトーク力≒とにかくしゃべり続ける力の持ち主であることは言うまでもない。これでもかというほど明るく、誰とでもフランクに接し、必要な場面では厳しく、それでいてどの時代のどのメンバーにとっても親しい存在であり続ける、コミュニケーションの鬼である。しかし、彼女の選ぶ言葉はあまりにも素直で含みがないのに加え、とりわけ自分自身の心について明かすことを良しとしない。

したがって、これは単にわたしのアイドルオタクとしての能力の欠如ゆえでもあるのだが、わたしは竹内朱莉さんについて「ほとんど何も知らない」といってもいい。どんなできごとにも豪胆に笑ってみせながら、その下では至極冷静に数歩先を見据えている、その思考の有り様を知らない。『交差点』では必ずと言っていいほど泣いてしまうのに、そのほかではまるで涙を見せない、その感情の動きを知らない。いつでも自分自身について惜しげなく開示してきた和田彩花さんよりも、もしかしたらずっとミステリアスで、得体が知れなくて、こわい人。それが竹内朱莉さんなのである。

 

しかしそのことは、アイドルという擬似宗教の世界においては欠点でも何でもない。なぜなら、信仰には畏怖が必要であるからだ。「神」には、わたしたちの理解し得ぬ正義があり、感情があり、意志がある。時に下される鉄槌は、その愛や正しさを打ち消してしまうほど冷徹で厳しいこともある。けれど、「神」はわたしたちを決して見捨てず、慈しみ続けてくれる。こわい人であるということは、アイドルグループのリーダーという役職に求められる素養であるのかもしれない。

つまり、竹内朱莉さんの卒業というエポック・メイキングな瞬間に立ち会おうとしているこの地球上のすべての人類に、大変お節介ながら言っておきたいのは、「竹内朱莉さんがこわい人だということを忘れるな」ということである。できるかぎり竹内朱莉さんのすべてを見たいと思うのなら、彼女の作る優しい愛の世界に溺れるがまま死んでしまうのではなく、わたしたちは決して分かりあうことなどできないのだという事実を胸に抱き、そのおそろしさを感じながら、卒業に臨むしかない。『同窓生』でつんくが「疑ったりしてごめんなさい」と書いたように、それがなければ、ほんとうの「I LOVE YOU」は伝えられないのだ。

 

 

竹内朱莉さん、ご卒業おめでとうございます。ああ、結局、あなたについて何も、何も書けませんでした。あなたは祈りを必要としないでしょうから、ただただ敬意を。おそれるとはすなわち、敬意を払うということなのだから。